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エンジニアリングとマネジメント

組織本能の考察と適応

Developers Summit 2019 Summer にて『組織本能の考察と適応』という発表をした。
プレゼンでは話せなかった組織本能というものを考えた背景について書いていこうと思う。

組織本能とは

組織にも、集合体にも本能というものが存在するのではないかという考えから生まれた造語である。

組織の本能ということを考えたきっかけは3つ。

  • 会社にてエンジニアリング組織を広げる活動をしていて、各部門ごとに文化があるのを感じた。そして文化はなかなか変わらない。
  • 組織変更があると人は組織図に忠実に行動をする。昨日の仲間も組織が変わると過去のこと。
  • 人間の本能というものは集団にも濃く反映されているのだが、集団というものは多様性を生まない時もある。

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これはどの組織でも聞くような話で、なぜこういったことが起こるのだろうかと考えていた。 かく言う自分も本能的に守りの行動もしてしまい、これも人間の本能的なものではないだろうかと。

そんなことから集団心理を学びたく『群集心理』を読んでみた。

群衆心理 (講談社学術文庫)

群衆心理 (講談社学術文庫)

この本は、社会心理学の古典的名著で、群衆はなぜそのような行動をするのかという人間心理を描いている。 革命や宗教などが例に挙げられているのだが、読み進めると会社という組織もまったく同じである気付いた。 ”組織にも本能がある”と確信した。

人と感情

いくら論理をまとめても動かざること山の如しの集団がいる。 そういった集団に論理を語っても意味がなく、結局は感情にに左右されている。

群集心理にはこうある。

群衆は、ただ過激な感情にのみ動かされるのであるから、その心を捉えようとする弁士は、強い断定的な言葉を大いに用いねばならない。誇張し断言し反覆すること、そして推論によって何かを証明しようと決して試みないこと

群衆が非常に高く上昇したり、反対に非常に低く降下したりすることのあるのは、もっぱら感情の領域においてである。

群衆は、心象によらなければ、物事を考えられないのであるし、また心象によらなければ、心を動かされもしないのである。この心象のみが、群衆を恐怖させたり魅惑したりして、行為の動機となる。

集団の前で発言するには論理的なものよりも、感情に訴えた方が心に響くようだ。
自分が正しいと思って正しい論理を並べようが、響かないものは響かないのである。

民衆の想像力を動かすのは、事実そのものではなくて、その事実の現われ方

間違えた事実でも事実がどのように現れるかで集団の動きは異なってくる。
一歩間違えれば怖い話だが、文化変革には事実をどう表すかが肝になる。

組織と文化

文化というものは習慣から生まれている。
毎日の習慣を明日から変えられるだろうか?難しいだろう。

制度は、何ら本質的な価値を持っていず、それ自体ではよくも悪くもないのだ。ある時期に、ある民族にとってよい制度も、他の民族にとっては、厭うべきものとなることがある。

一般的信念のために、各時代の人々は、網の目のように入りくんだ伝統や意見や習慣にとりまかれていて、その絆からのがれることができないであろうし、またそれらのために、常にたがいがやや似かよったものになるのである。

組織もそれと同様で、一度できた文化(習慣)を即座に変えることはできないのである。
少なくともボトムアップで実行するのは時間を要する。

思想が群衆の精神に固定されるのに長い期間を要するにしても、その思想がそこから脱するにも、やはり相当の時日が必要である。

ひとつ方法があるとすると、圧倒的トップダウンで組織を変えることである。
ついていけない人は組織を去るが、それこそが文化を変えることとなる。逆をいえば、それこそがトップのやることではないかと思う。

組織と有機体

組織は有機体である。本能的に行動し、文化の中で感情的に生きているのである。

民族というものは、過去によって創造された一種の有機体である。どんな有機体とも同様に、民族は、祖先伝来徐々に蓄積されてきたものに手を加えなければ、変改することはできないのである。民族を真に導くものは、伝統である。

生き物の本能を歪めようとしてもそれは難しい話だ。
本能を受け入れてそれを理解しないとわかり合えないだろう。

集団に入ってしまうと本能から逃れることはできない。

あらゆる集団は、その構成如何を問わず、精神的に低下する

たとえば、集団で記念写真を取ろうとしよう。
カメラマンの指示にほぼ全員が従っているのはなぜだろうか?

たとえば、全社集会があったとしよう。
メッセージに反論があってもその時に大声で反論しないのはなぜだろうか?

人は大勢の中ではいとも簡単に、本能的に周りと同じ行動してしまうのである。

分断された世界

集団が別の集団を見るときに、「わたしたち」と「あの人たち」と分けて考えてしまう本能がある。『FACT FULNESS』にある”分断された世界”というものだ。

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

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  • 作者: ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド,上杉周作,関美和
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人は誰しも、さまざまな物事や人々を2つのグループに分けないと気がすまないものだ。そして、その2つのグループのあいだには、決して埋まることのない溝があるはずだと思い込む。これが分断本能だ。

世界は分断されているという勘違いをしている。「わたしたち」と「あの人たち」で分けて考えてしまう。

話の中の「分断」を示す言葉に気づくこと。それが、重なり合わない2つのグループを連想させることに気づくこと。多くの場合、実際には分断はなく、誰もいないと思われていた中間部分に大半の人がいる。分断本能を抑えるには、大半の人がどこにいるか探すこと。

同じ会社にいても組織違えば分断しているのである。小さくはチームから、会社、国へ分断本能は広く生息している。

組織は変えられないのか

『組織パターン』にこんな言葉がある。

どんな組織に属しているのであれ、組織を変えることはできないということを認識しておいてほしい。変えるべきは自分自身なのだ。

組織パターン (Object Oriented SELECTION)

組織パターン (Object Oriented SELECTION)

自分を変えることができれば、組織も変わると思っている。

前述の群衆心理にある通り、ただ論理を語っても意味がない。組織を変えるには体験が必要だと考えている。体験、経験から文化は生まれて組織は変わっていくはずである。

一方で、変わらないことも自然なことであり、組織本能に適応して長い時間をかけて変えていく必要があるのだと思う。