
大切な人を、その人が望む場所へ送り届ける。 それは、ただ目的地まで連れていくことではない。 その人自身の行動を引き出し、選択を促し、自らの足でたどり着けるようにすることだ。
一人では行けないかもしれない場所に、しかし「自分で来た」と言えるかたちで。
トマス・レナードによりコーチングが体系化されて以来、すでに30年以上の歳月が経ちました。 教育機関や国際組織の設立を通じてプロフェッショナルコーチが増え、コーチングの知名度も高まりました。
そして現在、 AI によってさまざまな仕事が変わっていく中で、コーチングはどう変化するのでしょうか。
変わるのは、手段なのか。
それとも、関わり方そのものなのか。
コーチングの基本
国際コーチング連盟(ICF)による定義では「コーチングとは、思考を刺激し続ける創造的なプロセスを通して、クライアントが自身の可能性を公私において最大化させるように、コーチとクライアントのパートナー関係を築くこと」とされています *1。
加えて ICF Japan は、コーチングを「対話を重ね、クライアントに柔軟な思考と行動を促し、ゴールに向けて支援するコーチとクライアントとのパートナーシップ」とも表現しています。
これらの定義からは、コーチングが単なる技法やスキルではなく、コーチとクライアントの「関係性」そのものを非常に重視していることがわかります。
the what and the who
こうした定義や説明に触れる中で、私自身が立ち止まったのは「何を扱っているのか」という問いでした。
the what
多くの場面で、私たちは「what」を扱っています。
- 課題は何か。
- 目標は何か。
- 次に取るべき行動は何か。
1on1やマネジメントの現場でも、
- 業務の進め方
- スキルの不足
- 成果や KPI
といった「事象」は、比較的扱いやすい対象です。 言語化しやすく、分解でき、改善策も考えやすい。
the who
一方で、コーチングが扱おうとしているのは、必ずしも「何が起きているか」だけではありません。
その出来事を、
- その人はどうとらえているのか
- 何に迷い、何を恐れているのか
- どんな前提や価値観の上で選択しているのか
つまり、「その人自身」です。
同じ出来事でも、人が変われば意味は変わる。 同じ選択肢でも、背景となる価値観が違えば、取る行動も変わる。
コーチングは、この the who も非常に重視しています。
その事象だけではなく、その人自身を扱う
ここに、コーチングの難しさと、本質があります。
課題そのものを解決するだけなら、助言や経験談、あるいは AI でも十分に役に立つ場面は多いでしょう。
しかしコーチングでは、
- その課題が、この人にとって何を意味しているのか
- なぜ、この人は今、ここで立ち止まっているのか
- どういう感情を抱いているのか
といった、人に固有の文脈を扱います。
それは、答えを与えることではなく、その人が自分自身を理解し、選び直すプロセスに伴走することでもあります。
冒頭で触れた「一人では行けないかもしれない場所に、しかし『自分で来た』と言えるかたちで」という表現は、まさにこの the who を扱う関わりを指しています。
AI とコーチング
AI は、コーチングの文脈において非常に魅力的な存在です。 問いを投げ、整理し、選択肢を提示する。その多くは、すでに高い水準で実現されています。
それでもなお、コーチングの核心に触れようとすると、いくつかの決定的な壁に突き当たります。
AI は「間をつかむ」ことができない
コーチングの対話では、沈黙が重要な意味を持つことがあります。
言葉が途切れた瞬間。
答えが出ない時間。
少し視線が逸れた、その「間」。
人は、その沈黙の中で考え、感じ、揺れています。 そしてコーチは、その揺れが続くことをあえて許し、待つことがあります。
AI は、この「待つ」という行為を、時間としては再現できます。 しかし、それが意味を持った沈黙なのか、単なる空白なのかを、文脈としてつかむことはできません。
沈黙が続いたとき、
- さらに問いを重ねるのか
- あえて話題を変えるのか
- ただ一緒に、その場にとどまるのか
その判断は、「何が起きているか」ではなく、「今、この人の中で何が起きつつあるか」によって変わります。
この判断を、 AI が主体的に引き受けることは、今のところ難しいと感じています。
AI は感情を読み取ることが難しい
AI は、感情を「分類」できます。 文章や声のトーンから、喜びや怒り、不安を推定も可能です。
しかし、コーチングで扱われる感情は、必ずしもはっきりとした形では現れません。
- 言葉では前向きだが、どこか躊躇している
- 論理的には整理されているが、納得していない
- 冷静に話しているが、内側では強く揺れている
こうした矛盾を含んだ感情は、単純なラベルでは捉えきれません。
人は、ときに自分の感情を誤認します。 あるいは、感情そのものに気付いていないこともあります。
コーチングでは、その「気付いていないズレ」に寄り添い、言葉になる前の違和感を一緒に扱うことが求められます。
感情を「読む」だけでなく、感情が立ち上がる過程に伴走すること。 ここに、 AI が踏み込みにくい領域があります。
AI は言葉尻やニュアンスを掘り下げられない
コーチングでは、ときに一言が対話の流れを変えます。
- 「〜すべきだと思っていて」
- 「本当は、というほどでもないんですが」
- 「別に困ってはいないんですけど」
こうした、何気ない言葉の選び方には、その人の前提や防衛、迷いが滲み出ています。
人間のコーチは、
- なぜ今、その言い方をしたのか
- その言葉の裏に、どんな意図や遠慮があるのか
に注意を向けます。
AI も、言葉を解析はできます。 しかし、その言葉を選んだ「理由」を、関係性の中で問い返すことは難しい。
なぜなら、その問いは、正解を求めるものではなく、相手との相互理解の上でしか成立しないからです。
AI は the what を扱うことに長けており、問いを整理し、選択肢を広げ、行動に落とし込むこともできる。
しかし、コーチングが本当に向き合おうとする the who ──その人自身が揺れ、迷い、選び直す。その過程には、まだ人の関与が必要だと感じています。
それでも、AI がコーチングに与える可能性
ここまで述べてきたように、 AI によるコーチングには、構造的に越えにくい限界があります。
「間」をつかむこと。
言葉になる前の感情に触れること。
その人自身── the who ──を扱うこと。
それでもなお、私は、 AI がコーチングに与える可能性を、もう少し探究してみたいと感じています。
そこで、実験的に GPTs と Gemini Gems を使って、コーチングを行う AI を作ってみました。 AI のロールは、ICF 認定資格 PCC を取得したコーチとし、PCC Markers*2 にもとづくコア・コンピテンシーの実践、そして ICF の定める倫理規定 *3 に準拠するよう設計しています。
< GPTs 版> chatgpt.com
< Gem 版> https://gemini.google.com/gem/1oD45YY2y45zyMfF5SCwAxSLo2Pm1x_WQ?usp=sharinggemini.google.com
名前は「こーちゃん」です。 コーチとしての完成度を語るには、まだ早い存在ですが、少なくとも次のような場を開くことはできています。
- 問いを投げられること
- 話を遮られずに考え続けられること
- 思考を言葉にし、それを自分で聴けること
これらが、いつでも開かれている状態にあることは、確かな意味があるように感じています。
そうした場をどのように使うかを考えたとき、とくに相性がよいと感じたのが、音声での対話でした。 自分の声で語り、その声を自分で聴くことで、考えが思いがけない方向に進むことがあります。 いわゆるオートクラインが起きやすいのも、この形式です。
そのため、この AI では、入力を音声で行うことを勧めています。 完璧な問いが返ってこなくても、話すことで整理されていく感覚が残るならば、それ自体が、ひとつのコーチング体験と言えるのかもしれません。
コーチングを体験したことがない人も、この AI と話すことで、コーチングの雰囲気を感じることができるかもしれません。 GPTs と Gemini Gems で作ってみましたが、ボイス UI のクオリティが高い GPTs の方が、よりコーチング体験に近い印象を受けました。
最近では、こうした AI コーチングのソリューションも少しずつ増えてきています。誰かに話を聞いてもらう、問いを受け取る、といった体験が、これまでよりもずっと身近になる。その変化は、個人的にはとても楽しみなものです。
研究事例
AI とコーチングの関係については、すでにいくつかの研究が行われています。 「AI はコーチングに使えるのか」という問いに対し、興味深い示唆を与える結果も出始めています。
たとえば、 AI コーチと人間コーチのセッションを比較した研究 *4 では、セッション後に測定されたワーキング・アライアンス(協働関係)の評価において、両者の間に大きな差が見られなかったという報告があります。 少なくとも短時間の対話においては、AI であっても「一定の関係性」は成立しうる、という結果です。
また、AI コーチと人間コーチの目標達成効果の比較実験 *5 では、AI チャット bot によるコーチングが、有意に成果を高めたケースが示されています。 この実験では、最終的な達成度は、人間コーチによる支援と同程度に収まったとされています。
一方で、複数の研究を横断的に分析した文献レビュー *6 では、 AI コーチングの得意領域と限界も、徐々に整理されつつあります。
- 目標設定や行動計画、振り返りといった the what を扱う領域では効果が見られる
- 匿名性や即時性により、内省や自己開示が促進されるケースもある
- 反対に、強い感情を伴う場面や、意味付けを深める対話では、人間が優位になりやすい
こうした結果は、 AI が「コーチの代替」になるというよりも、コーチングの一部を担う存在として機能し始めていることを示しているように見えます。
人がコーチである意味
研究結果を踏まえて見えてくるのは、「AI にもできることがある」という事実と同時に、「それでも人が担っている役割」がたしかに残っている、ということです。
AI は、問いを投げ、思考を整理し、行動を構造化できます。 それは、多くの場合、十分に役に立ちます。
しかし、人間のコーチが向き合っているのは、課題そのものだけではありません。
- その人が、なぜその言葉を選んだのか
- 何を言わずにいるのか
- どこで迷い、どこで立ち止まっているのか
そうした言葉になりきらない部分を含めて扱うこと。 そして、その人自身が「自分で来た」と感じられる地点まで伴走すること。
研究結果を踏まえて見えてくるのは、AI がコーチングの一部を担えるようになったいまだからこそ、人がコーチである意味に、よりはっきりと輪郭が与えられつつあるということです。
おわりに
本記事では、コーチングが何を扱っているのか、そして AI はそこにどこまで関われるのかを考えてきました。
研究や実験から見えてくるのは、 AI が the what を扱う領域では、すでに一定の役割を果たし始めていることです。 一方で、the who に向き合う営みには、今も人の関与が欠かせない、ということです。
それでも、もし将来 AI がより深いパーソナライズを獲得し、一人ひとりの文脈を長期的に引き受けられるようになれば、コーチングにおける役割が別の形で広がるのかもしれません。
AI と人。
どちらが優れているかではなく、何を人が担い、何を AI に委ねるのか。
その問いを持ち続けること自体が、これからのコーチングにとって、ひとつの重要な前提になっていくように感じています。
この記事は、AI コーチ「こーちゃん」にコーチングをしてもらい、アウトラインを作りました。以下に、会話ログを掲載します。


AI コーチと話す前は、テーマが決まっていなかったのですが、セッションを終えるころには明確なテーマが浮かんでいました。 数分間のセッションで、これだけのテーマが浮かんでいたのは、あらためて AI コーチの力を感じました。
*1:国際コーチング連盟日本支部(ICF Japan). (n.d.). コーチングとは . https://icfjapan.com/coaching
*2:国際コーチング連盟日本支部(ICF Japan). (n.d.). PCC マーカー . https://icfjapan.com/pccmarker
*3:国際コーチング連盟日本支部(ICF Japan). (n.d.). ICF 倫理規定 . https://icfjapan.com/icf-code-of-ethics
*4:Barger, A. S. (2025). Artificial intelligence vs. human coaches: examining the development of working alliance in a single session. Frontiers in Psychology.
*5:Terblanche, N., Molyn, J., de Haan, E., & Nilsson, V. O. (2022). Comparing artificial intelligence and human coaching goal attainment efficacy. PLOS ONE, 17(6), e0270255.
*6:Passmore, J., Olafsson, B., & Tee, D. (2025). A systematic literature review of artificial intelligence (AI) in coaching: Insights for future research and product development. Journal of Work-Applied Management. https://doi.org/10.1108/JWAM-11-2024-0164